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日本語由来のベトナム語は存在する?意外な興味深い事実!

2024.02.27言語と教育

こんにちは、アイプランニングです!日本語には多くの外来語が取り入れられていることは皆さんご存知かと思いますが、実はベトナム語も同様です。しかも、日本語とベトナム語は地理的には離れている言語ですが、意外なつながりが存在します。ベトナム語には実は、日本語由来の言葉がいくつか存在することをご存知でしょうか。日本とベトナム、異なる文化や言語が交わる中で生まれたこれらの言葉は、それぞれの歴史や文化を反映しています。今回のブログでは、日本語由来の言葉がベトナム語に入ってきた経緯や、ベトナム語日常会話でどのような意味を持っているのかを、興味深い視点から探ってみたいと思います。

日本とベトナムの関係は、単なる外交関係だけでなく、歴史的なつながりや文化的な交流も含まれています。これらの言葉がどのようにしてベトナム語に取り入れられ、日常会話に組み込まれているのかを見てみることで、私たちは両国の交流の歴史や、言語が持つ力について深く理解することができるでしょう。それでは、日本語由来の言葉がベトナム語に与える影響について、一緒に探求してみましょう!

「おしん」はある職業を示す言葉として?

「おしん」というドラマは多くの方がご存知だと思いますが、この言葉がベトナム語にどのように変化したかご存知でしょうか。

「おしん」は1983年から1984年にかけてNHKで放送された連続テレビ小説であり、その平均視聴率は52.6%に達し、ビデオリサーチの統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録を達成しました。このドラマは、強靭な女性「おしん」(田倉しん)の生涯を描いています。彼女は貧しい家庭に生まれ、7歳で家政婦として働き始め、過酷な扱いや暴力に耐えながらも、全てを乗り越えました。「おしん」の人生は波乱万丈でしたが、それでも彼女は諦めず、常に生きるための道を模索し続けました。

1994年、このテレビシリーズがベトナムで初めて放映されました。当時のベトナムではテレビを持つ家庭がまだ少なかったにも関わらず、「おしん」は大ヒットし、国中に熱狂が広がりました。幼少期から家政婦として働き、家族のために苦労する「おしん」の姿に多くのベトナム人が感動し、「おしん」はベトナムの人々の心に深く刻まれました。また、当時のベトナム語の語彙は、社会で徐々に普及しつつあった家政婦という職業を指す適当な言葉を見つける必要が非常にあったようです。そこで、「おしん」は「osin」になり、ベトナム語の「家政婦」という言葉の代名詞として広く使われるようになりました。

「osin」という職業は当初、ベトナムの大都市で非常に価値のあるものでした。外国人がベトナム市場への投資やビジネスをするためにベトナムに駐在する際、彼らは「osin」を雇うことが一般的でした。当時の給料は高かったため、安定した仕事を辞めてこの職業に就く人もいたようです。家政婦の「osin」の需要が爆発的に高まる中、ベトナムの村では農業の職業が徐々に縮小し、「osin」はもはやベトナムに駐在する外国人向けのサービス職業の存在だけではなく、街の隅々や家族の中に溶け込んでいくようになりました。また、単に雇われているだけではなく、「osin」たちは雇う家庭と一緒に暮らし、家族の一員として扱われるようになりました。そして、「osin」さんを雇うことで、仕事中に子供を連れて来たり、早退したり、遅刻したり、急に欠勤したりすることが減った家庭も増えてきました。

現在、若いベトナム人の中には「おしん」というドラマを知らない人もいますが、「osin」は依然としてベトナム社会に根付いた言葉であり、誰もが知る身近な存在です。

あらゆるブランドのバイクを総称して「ほんだ」?

ホンダは世界的に有名なオートバイメーカーであることは皆さんもご存知でしょう。ベトナムでは、ホンダが国内バイク市場シェアの80%以上を占め、最も消費されているバイクブランドです。しかし、この数字だけではホンダブランドのバイクの影響力を語るにはまだ不十分です。ベトナムの多くの地域、特に中部と南部では、これまで、バイクのこと、あるいは他のブランドのバイクと区別するためにホンダバイクのことなどと呼ぶ代わりに、ベトナム人は依然としてあらゆるブランドや種類のバイクを総称して「honda」と呼んでいます。驚くほど興味深い事実ですね。

1980年代初頭、ホンダのスーパーカブがベトナムに登場しました。当時のベトナム経済はまだ市場経済になっておらず、国家補助金制度が敷かれていた時期で、国民生活においては食糧や生活物資の配給が行われていました。当時、輸入されたホンダカブの価値は非常に高く、土地や家などの不動産よりも高価でした。したがって、ホンダカブを所有することは庶民にとって非常に贅沢なことであり、バイクといえばホンダカブというほど強烈な印象を残しています。実際、多くのベトナム人にとって、ホンダカブは今でも耐久性と利便性を兼ね備えた美しさとファッションの象徴です。

1996年、ベトナムが海外市場に対してより経済的に開放されたとき、ホンダはこの国にバイク工場を設立し、ベトナム市場への正式な進出を果たしました。ベトナム国内市場向けのホンダバイクラインが次々と誕生しました。当時、他の多くの発展途上国と同様に、7400万人近くのベトナム人が主な交通手段としてバイクを選択していました。このような人口密度の高い市場には、本当に潜在的な可能性がありますね。

その後、ベトナムが急速に世界有数のバイク消費国になったことが明らかになりました。さらに、輸送コストが低いことや、同様の市場(タイなど)でのホンダの経験により、ホンダのバイクは急速にベトナム市場を支配することができました。

ベトナムではバイクは単なる移動手段ではなく、時には生計手段としても使われています。ベトナム市場では、ヤマハ、ピアジオ、スズキなどの他のバイクブランドとの競争が依然として存在しますが、ホンダのバイクは、低価格、使いやすさ、省エネ 、スペアパーツ交換の容易さなどの多くの利点の組み合わせにより、絶対的な優位性を保っています。 「先んずれば人を制す」ということわざがありますが、ベトナム人はあらゆる種類のバイクを「honda」と呼ぶほど、ホンダのバイクはベトナム国民の心に深く根付いています。他のバイクメーカーにとっては多少不利な点でもありますが、これはもしかしたらこの日本のバイク会社に対するベトナム国民の愛と信頼の表れでもあるのでしょう。

まとめ

今回のブログでは、日本語由来の言葉がベトナム語にどのように取り入れられ、日常会話に組み込まれているかについて、具体的な例として「おしん(osin)」と「ホンダ(honda)」を取り上げました。

言葉の持つ力は、単なるコミュニケーション手段に留まらず、文化や歴史を伝え、人々のつながりを深める重要な役割を果たしています。このように、日本語由来の言葉がベトナム語に与える影響は、両国の関係を深める一翼を担っているのでしょう。言語は時代と共に変化し、今後も新しい日本語由来のベトナム語化した言葉が誕生するのを楽しみにしていますね。

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